那須高原の別荘地 藤和那須ハイランド

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藤和那須ハイランドとは

歴 史

「那須ハイランド」別荘地として開発スタート

当社の親会社である藤和不動産は昭和32年6月、当時の藤田組(現(株)フジタ)本社内に設立された。不動産の売買、斡旋を行うことによって藤田組の民間からの工事受注を増大させることが狙いであった。主に東京近郊での宅地分譲を盛んに行い設立当初100万円だった資本金も昭和35年には950万円に増資した。
昭和39年、那須高原において、230万坪に及ぶ広大な別荘地の総合開発着手の話が持ち込まれた。これが「那須ハイランド」開発のスタートにつながったのである。
当時、那須ハイランドの辺りは、地元の人も入り込んだことのないというほどのまったくの原生林、藤和不動産としてもこの開発を引き受ければ、今までに無い一大事業となる。そこで急遽、担当者が現地視察のために那須へ飛び、原生林に分け入ってみると、眺望は抜群、全体が南傾斜、木立の種類の豊富さ、水等数々の条件を検討した結果、別荘地総合開発について確固たる自信を持ったのである。国内でもおそらく他に例のない、壮大な別荘地総合開発ということで開発を決断。当時、社員数30人、資本金1億円の藤和不動産にとって総額200億円にものぼる一大事業への着手であった。
土地の売買契約後、担当者達が湯本から通じている林道づたいに現地に足を踏み入れ、そして那須町役場とさまざまな許認可関係の折衝を開始した。
当時としては、人も入らぬ原生林をホテル、スポーツ施設などを整えた一大ユートピアにすべく開発をするとは、とても役場の人たちには信じられないことで、担当者が役場を訪ねても 「なんだ、また、夢みたいな話をしに来たのか」と全く相手にしてもらえないほどであった。
それでも関係者それぞれの努力が実り、全社を挙げて開発体制が敷かれ、11月10日には地元の有力者を集めて那須ビューホテルにおいて開発ビジョン発表会が開かれた。
この時以来それまで聞いたことも無かった藤和不動産という名前が那須全体に知れ渡り、確固たる信用を得ることが出来たのである。
こうして地元も協力的に藤和不動産を応援してくれる中で、11月30日第一回現地案内会が挙行された。
ジープに分乗してデコボコ道の林道を途中まで進み、そこから現地までは山歩き。そしてまだ道路も無ければ区画割もしていない土地を遠大な開発計画を説明しただけでお買い上げいただこうというのである。
坪当たり6,000円弱という価格であったが、藤和の那須にかける情熱が理解され、翌40年3月までに約1万坪が売れた。
この第1回案内会を契機に、総合開発別荘地計画は順調な滑り出しを見せた。そして昭和40年6月、分譲地名は「那須ハイランド」と決定された。
これは同年4月に新聞広告で名称を募集したもので、「雄大なイメージ」、「新しい国際的保養地のイメージ」、「地名を想起させるもの」、「読みやすく聞きやすいこと」の4点を選出基準とした。応募数は8,622通。応募された名称の中から、主なものを列記すると、「那須スカイランド」、「那須ユートピア」、「那須ホープランド」、「那須ビューランド」、「那須ロイヤルランド」、「那須サングリラ」、「那須国際高原」、「那須藤高原」、「新那須高原」等であった。
最終案を社内で慎重に討議し「那須ハイランド」に正式決定。藤和不動産の歴史の中にいつまでも残ることとなった。


日本有数の別荘地として「那須ハイランド」完成

昭和41年8月21日。その日は朝からどしゃぶりの雨であった。降り続く雨は浸み込みの早い火山灰地であるのを良いことに容赦なく那須ハイランドを濡らしていった。うらめしげに空を仰ぐ担当者の顔にあきらめの表情が浮かんだときである。それまでの雨がまるで嘘のように晴れ上がり緑の葉に付いた雨水がいつの間にか満点の星の光を映す頃、午後6時30分、那須ハイランドの静寂な樹林に一大ファンファーレが響き渡った。電気・水道設備の完成を記念して行った那須ハイランドフェスティバルの開幕であった。このファンファーレを合図に花火が打ち上げられ、有馬徹とノーチェクバーナの演奏をバックにデュークエイセスによって「那須ハイランドの歌」が発表された。作曲はいずみたく、作詞は岩谷時子という当時のゴールデンコンビによるものだった。
それに続き、来賓の東久邇宮様のご祝辞、藤田正明社長による那須ハイランドにかけるビジョン発表があり、いよいよ点灯・通水である。
一瞬静まり返った会場の1,500人を超える賓客の目が藤田正明社長の手に注がれる。
スイッチが押されると会場に張り巡らされた数百個のイルミネーション電球が一斉に灯り、幹線道路沿いの水銀灯が白い光を連ならせて上へ伸びていった。続いて通水のスイッチが押され舞台の両側に設けられた噴水が、さっと水の花を開く。
開発着手以来1年有余、那須ハイランドは日本有数の別荘地として産声を上げたのである。



社会貢献活動「藤和不動産サッカー部」(現・湘南ベルマーレ)

また、那須ハイランドの歴史で、忘れてはならないのがサッカーチームである。藤和不動産サッカー部は昭和42年より結成の準備を行い、昭和43年正式に発足した。発足当時からの目標は「3年で日本リーグ入り」というハードルの高いものであった。さらに昭和44年には、那須に、公式試合にも利用できるサッカー専用グラウンドも整備された。
同年、当社の期待に応えるべく、栃木リーグ1部で全勝優勝し、関東リーグ入れ替え戦を経て関東リーグ入りを果たした。日本リーグ入りは昭和46年。3年での達成はならなかったものの、結成以来わずか3年8ヶ月という記録破りの早さであった。
その後藤和不動産サッカー部は、日本一の座こそ逃したものの、日本リーグで活躍した後、オイルショックの不況の影響を受け、昭和50年、フジタ工業(現・(株)フジタ)へ移管、「フジタ工業クラブ」として新たなスタートを切った。また、Jリーグ発足後は「ベルマーレ平塚」(現・湘南ベルマーレ)として活躍を続けた。


レジャー施設運営など、別荘地の販売・管理を柱とする総合リゾート事業へ

昭和54年7月。那須ハイランド内にあるスポーツ、レジャー施設「那須ハイランドパーク」に新たにジェットコースターを初めとする遊戯施設を導入した。
那須ハイランド別荘地の分譲は一時中断していたものの、開発地域内には未だ相当の未販売地を残していることから、ハイランド内へできるだけ顧客を動員し、将来本格的に別荘地販売を行う時期に備えてのPRを兼ねたものであった。
導入された遊戯施設は「スペースジェット」、「サンダーコースター」など大型のもので、新装なった8月からの入場者数は驚異的に伸びた。また、昭和55年6月には「ハイループコースター」も導入し年間の入場者数は45万人を突破。
その後も着実に施設を拡張、充実させ平成7年には入場者100万人を突破。、平成12年には別荘の数も1300棟を超えた。
昭和62年、社名を「藤和那須管理(株)」から「藤和那須リゾート(株)」に一新、TOWAピュアコテージ、那須ハイランドパークの運営、別荘地の販売、管理を柱とする総合リゾート事業を手がけつつ今に至っている。

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